批判やイジメはあなたが劣っているから?イソップ寓話「すっぱいぶどう」に学ぶ「合理化の呪い」

みなさんこんにちは、アストです。

今回は

批判はイジメはあなたが劣っているから?イソップ寓話「すっぱいぶどう」に学ぶ「合理化の呪い」

をお送りします。

 

via wikipedia

早速ですが皆さん、「すっぱいぶどう」というお話をご存知でしょうか?

イソップ寓話の中の1物語で、とあるキツネがたわわに実った美味しそうなぶどうを見つけます。

キツネはそのぶどうを食べようと飛び上がるのですが、ぶどうはどれも高いところに成っていて、いくら飛び上がってもキツネはぶどうを採ることができません。

飛んでも飛んでもぶどうが採れないキツネは、怒りと悔しさから「ふん、こんなぶどうすっぱいに決まっている。誰が食べてやるものか」と吐き捨てて立ち去る。

というお話です。

 

精神分析学、心理学で言う所の「合理化」という心理作用をわかりやすく表現しており、世界的にも非常に有名なお話です。このような反応は防衛機制と言い、自らの精神が晒されている潜在的危険に対して、不安やダメージを軽減しようとする無意識的な心理作用です。また、欲求不満などによって社会に適応が出来ない状態に陥った時に行われる自我の再適応メカニズムでもあります。

この場合、キツネは「自分が取れないぶどうは全てすっぱい」という理論展開によって、満たされなかった欲求を誤魔化しプライドを守ると同時に、「ぶどうは高いところに成るもの」という一つの事実に対して再適合しています。

しかし、実際のぶどうは瑞々しく甘い。「すっぱいもの」と決めつけて自らを守ったキツネですが、彼は一生そのぶどうの美味しさを知ることができないという「呪い」を自らに課してしまったのです。

 

皆さんにも似たような経験がおありになるのではないでしょうか。

特に本ブログのメイン読者層である若い世代の方々は、学校で、大学で、会社で、同年代の仲間達と常に様々なことで競い合わなければならない環境で生活している方が多いかと思います。

若いが故なのでしょうか、私たちは常に他人より上にありたい、他人より良くありたいと、周りの目を気にして他人と自分を比べることをやめることが出来ません。

恋愛、学歴、キャリア、等々、他人と自分の違いが気になって仕方がない中、思ってはいけないと思いつつもどうしても頭によぎってしまうのがこんな考え。

  • あいつの彼女は顔が可愛いだけ。性格悪いに決まっている。
  • 学歴いいとか勉強できるだけじゃん。頭がいいってそういうことじゃない。
  • あいつは声が大きくて口が達者なだけで本当は仕事できない。周りの人間は見る目がない。

自分を見てくれない異性はみんなビッチ。自分より学歴がいい人はみんな本当はバカ。自分より高いものを持っているヤツはみんな悪いことしている。自分より…

まさしく「すっぱいぶどう」。こんな気持ちになってしまう自分自身は「キツネ」そのものです。「合理化」による自己暗示で一見素晴らしく楽になったように見える世の中ですが、こんな考えをしたところで今の状況が好転するわけもなく、むしろ世の中全てが「すっぱいぶどう」になるまでその「呪い」は止まりません。

聡明な皆さんなら、そんな黒い感情に支配されてしまっている自分が情けなくてさらに落ち込んでしまったことでしょう。

 

時にこの「合理化の呪い」は、自分のみでなく他人までも縛りつけようと魔の手を伸ばしてくることがあります。

皆さんは、他人からの心無い批判によって心を病んだ経験はありますか?

自分は頑張っているつもりなのに、どういうわけだかケチがつく。どこからともなく現れた何かが、「普通」とか「常識」なんてものを教えにやってくる。直接は聞こえてこなくとも確実に言われているなとわかる陰口や嫌がらせ。時には人格否定やイジメに発展するようなことだってあるでしょう。

何ををやっても認められないどころか批判に晒されてしまう日々は心を荒ませ、視野を狭くし、自らのビジョンを曇らせ、一歩先へ進もうとする足取りはまるで目一杯に汚泥を吸い込んだかのように重たくなり、迷いを持ったものになってしまいます。皆さんはそんな批判の矢面に立たされた時、自らが劣っているからと自分自身を責めるのでしょうか。

いいえ違います。あなたは決して劣ってなどいません。むしろ優れていると言えます。あなたはすっぱくない。むしろ甘いのです。

 

これこそが「合理化の呪い」の一番厄介な部分です。「すっぱいぶどう」の呪いを自らに課したキツネが最も恐れることは「ぶどうが本当は瑞々しくて甘いこと」を知ってしまうことです。彼にとってぶどうはすっぱいものでなければならない。そうでなければ彼は自分の心を守ることが出来ません。

するとキツネは、ぶどうを取ろうと努力する他の動物に「そのぶどうはすっぱいんだから頑張るだけ無駄だ」とか「ぶどうは普通すっぱいんだよ。そんなことも知らないのか。常識知らず。」と批判して足を引っ張らねばならなくなります。

「合理化」は、自らの心を守るためだけに用いられるならそれはストレスを軽減するための手段に過ぎません。しかし、自らを守るために他人の足まで引っ張るようになってしまったのでは、それはもう「呪い」です。

人を呪わば穴二つ。「合理化の呪い」に一度巻き込まれてしまえば、まさしく墓穴に到るまであなたの人生を蝕み続けることでしょう。

 

いかがでしたでしょうか。

人生を蝕む「合理化の呪い」でした。

あなたが何か努力している時、その頑張りが批判の矢面に立たされることがあったなら、その時あなたは「甘いぶどう」に手をかけているのだと思って下さい。あなたの足を引っ張る有象無象は、「甘いぶどう」を手に入れてしまいそうなあなたが恐ろしくて仕方がない「キツネ」達なのです。

何かを成すには人生は短い。皆さんの頑張りはきっと何かを成す道に繋がっているはずです。「キツネ」が仕掛ける「合理化の呪い」によってビジョンを曇らせることなく、足を取られることなく、不断の努力を続けて欲しいと思います。

 

以上、アストでした。

 

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