日本に時計を輸入したのはどこ?時計とゆかりのある街「横浜元町」

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皆さんこんにちは、アストです。
今回は、時計ゆかりの街「横浜元町」のお話です。
デートやお出かけにうってつけな横浜元町エリア。
実は時計にゆかりのある街であることを皆様ご存知でしょうか。
横浜元町と言うと、江戸時代から外交が盛んに行われている、ハイカラな船来文化の街です。
「中華街」のような大規模な外国人街も有名ですが、フェリス女学院のようなキリスト文化、渡来してきた外国人建築家による洋館文化などなど。
日本のクラシカルな船来文化を楽しめます。
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そんな船来文化の中には、時計も含まれていました。
実は、日本に初めてのスイス時計を輸入したのは、有名なマニュファクチュールメーカー「ジラールペルゴ」。
創立者であるマリー・ペルゴの弟フランソワ・ペルゴが、この横浜において時計商社を設立し、初めてスイス時計を日本にもたらしたと言われています。
フランソワ・ペルゴが来日したのは1861年。当時は日本とスイスとの国交がなかったため、フランス人として来日しました。
その後1864年、フランソワは日本で初となるスイス時計輸入商社を設立。時計を日本に広めていきます。当時の商社は、現在の中華街がある場所にあったと言われています。
しかし、当時の日本では太陰太陽暦が採用されており、時計を売るビジネスは難航していました。
その後1873年に、やっと日本でもグレゴリオ暦が採用されることとなり、ビジネスは安定。スイス時計は日本に広く普及することになりました。
時計に魅せられた私たち時計好きにとって、とんでもない偉業を成し遂げてくれたフランソワ・ペルゴですが、実は横浜にある「横浜外国人墓地」に眠っています。
商売が軌道に乗り始めた後の1877年。フランソワ・ペルゴは脳卒中で倒れ、その後死去。
外国人墓地に埋葬されました。
外国人墓地の場所は、海の見える丘公園と元町公園の間にあります。
フランソワが眠っているのは、その中でも最も古い区画。商店街側に位置しています。
元町中華街駅を出たら横浜元町ショッピングストリートを抜けて、こんな感じの激坂を登ります。
辛くて泣いてしまっています。笑笑
登り切ってしまえば後は楽チン。
元町公園の綺麗な花壇や、「生プリン」が美味しい「しょうゆきゃふぇ」なんかで一休み。
クラシカルな洋館も数多く立ち並んでおり、非常に楽しいです。
記事「中華街はもう飽きた?横浜元町名物「生プリン」が美味しい「しょうゆきゃふぇ」」
後は外国人墓地に入って、フランソワのお墓に「時計文化をありがとう」とお礼しに行きます。
(大事な写真を撮り忘れてしまいました…)
皆さんも、時計好きなら一度は彼のお墓にお礼しに行ってみてはいかがでしょうか。
近くには「山下公園」や「中華街」。少し歩けば「赤レンガ倉庫」や「みなとみらい」にも行けます。
デートにもってこいですよ。
ちなみにですが、横浜元町ショッピングストリートには、輸入時計の正規販売店「COMMON TIME」があります。
お墓参りしたその足で、「ジラールペルゴ」一本いかがでしょうか。笑笑
以上、アストでした。